1. ことばが遅い子が来たら

垣根に咲いた紫陽花の青い花びらが、めだかの水瓶に散りこぼれて、今日も雨の水曜日。水曜日と木曜日はことばの相談室の日です。
ことばが遅いこどもが、お母さんと一緒に、初めて受診して来ました。
私は「これならいっしょに読めるかな?」と考えて、あらかじめ選んでおいた絵本を机の上に拡げます。
『いただきますあそび』(偕成社)
『かばくん・くらしのえほん』(あかね書房)
『こぐまちゃんえほん』(こぐま社)
『うずらちゃんのかくれんぼ』(福音館書店)
『ありとすいか』(リブロポート)
『ぞうくんのさんぽ』(福音館書店)
長年つき合ってくれている頼もしい絵本たちばかりですが、何と言っても初対面の相手です。一緒に楽しめるかなと、心配しながら、読みはじめます。
そっぽを向きながらきいている子、絵本の中のりんごやおにぎりを、手に取って口に持っていくふりをしてにっこり笑ってくれる子、かばくんの遊び道具を指さしながら「でんしゃ」「ボール」と答えてくれる子、「ぞうくん、こんにちは」と挨拶してくれる子、すぐに飽きて椅子から立ち上がり、部屋に備え付けの手洗いの水道へ寄って行く子と、様々です。
この短い時間に、ことばの育ち方に大まかに当たりをつけます。
ことばにまだ手が届いていない場合には、おもちゃで遊んでみます。ことばの世界に足を踏み入れているようだったら、名詞や動詞の絵カードを使って、ことばのレパートリーをさらに調べます。
それから、お絵かきをします。お絵かきといっても、紙の方は見向きもせずに、色鉛筆やクレヨンを手に取って、ひたすら並べたり、手でコロコロと転がしてその感触を楽しむ子もいます。白い紙に線をぐるぐる描く子もいれば、大きい丸に小さな点をふたつうって、顔を描いてくれる子もいます。
最後に、言語聴覚士に聴力検査をしてもらいます。
ここで、こどものパートは終了。ことばと聴こえの状態がわかりました。おもちゃを出してきて、お母さんの側で、一人で遊んでいてもらいます。
さあ、お母さんと話をする番です。それまで、やきもきして側の椅子に坐っていたお母さん。診断をつける前に、生まれてからのこどもの育ちについて、詳しく聞きます。
いつ、ことばの遅れに気がついたのか、どんな遊びが好きなのか、聴こえについて心配はないか、トイレのトレーニングを始めているのか、食事はどうやって食べているのか、家庭で兄弟との関係はどうか、お父さんのかかわりはどうか、いつ、医療機関を受診して、どんな検査を受けたか、診断はどうだったか、その後、専門の療育を受けてきたのかどうか、保育園や幼稚園などに通ってみてどうだったかを話してもらいます。

2. ことばが遅いと告げるとき

さて、診断です。
「近所の同じ歳の子たちに比べて、ことばが遅いようだけど、ほんとうだろうか」
「もう少したったら、急に話し出すかもしれない」
お母さんが、これまで悩んできたことにひとつの答えをだします。
ことばが遅いという事実を、ありのままに告げます。
次に、どうしてことばが遅いのかについて意見を述べます。これは詳しく医学的検査をしなければわからない場合もあります。臨床症状をつぶさにみて、医学的な検索が治療に結びつくと判断した時、または、家族が原因について知りたいと強く願っている時には、設備のある病院に検査を依頼します。
てんかんや甲状腺機能低下症のように、薬で治療することができる病気もあります。口蓋裂では手術をして口蓋の裂を縫い合わせます。脳性麻痺では機能訓練をして、運動発達を促し、筋肉のコントロールの仕方を覚えさせます。聴覚障害では補聴器をつけるか、高度の難聴では人工内耳の手術をするかどうか検討します。
しかし、精密に調べても原因が分らないことがよくあります。また、大部分のこどもでは、たとえ原因がわかっても、ことばに変化をもたらす医学的治療方法がないのが現状です。
もう一つ、切実な質問があります。
「そのうち、ことばは追い付くでしょうか」
今は遅れていても、ある朝、目覚めたら、急に話すようになっているのではないかしらと願っているお母さんの気持ちは、よくわかります。ことばの相談室を始めた頃、私は言語聴覚士として十年目にさしかかるところでした。お母さんにこどものことばの状態や、遅れの原因については率直に話していましたが、ことばが追い付くかどうかという質問には「まだ小さいからわからない」と答えていました。「追いつかないかもしれない」と告げた時、お母さんが傷つくのを恐れてのことでした。
他の医療機関にかかったお母さんたちの話を聞くと、医師たちは「重度」「中度」「軽度」と分類して、将来の見通しを告げています。多くの医師は、診断や見通しを本人と家族に告げるのに、ためらいは感じられません。
私は他の医師たちの、あっさり感に学ぶところがありました。お母さんたちは驚き、がっかりしてしまうけれども、それを聞いて覚悟を決めざるを得ないという点です。
私もこの十年間、ことばの相談室でたくさんのこどものことばの育ちにつきあってきました。ことばが追いつくかどうかを質問されたら、今では、私の考えをなるべく言うようにしています。

3. 早期発見っていいこと?

できるだけ早く、こどもの「障害」を見つけだして診断し、できるだけ早い時期に援助を始めることがこの時代の流れです。生後4ヶ月で行われる乳児健診で、首の座りが遅いと、お母さんはあわてて、健診帰りに診察を受けに来ます。最近では聴こえのチェックにひっかかった赤ちゃんを連れて聴力検査に来るお母さんもあります。どっちの場合も、1、2ヶ月待てば「何てことなかったね」で終わるのに、健診があるばっかりに、どのお母さんもみんな、子育てでドキドキすることが増えています。
ことばの遅れが1歳半健診まで見つけられないのは、良いことかもしれないと思うことがあります。ことばの遅れを、1歳前にはっきりと疑うお母さんはいませんし、乳児健診をしている医師もそれほど細かく見てはいません。誰も何にも言わないので、お母さんは赤ちゃんを、生き物としてありのままに可愛がって育てることができるからです。その時間はある程度、長い方がいいのではないかと私は思っています。
2歳を過ぎて、まわりのこどもたちが話しはじめているのに、我が子がまだ話さないと、お母さんはこどもの行動を夢中になって観察しだします。インターネットで、「自閉症」を検索にかけると、数千のサイトがひっかかってきます。すべてをダウンロードして読み続け、へとへとになったお母さんがいました。視線があわないという自閉症の特徴を読んで、我が子と何回、眼が会わなかったか、一日中、数えていた人もいます。
お母さんは生き物ですから、自分のこどもはすくすく育つのが当り前と信じて疑いません。そうではないと言われたら、驚いたり焦ったりするのは当然です。ことばの相談室に来たお母さんに泣かれてしまうことが、よくあります。
お母さんはことばの遅いこどもが、これからまっとうに生活していけるかどうかを心配しています。そして、こどもに責任はないのだけれど、ことばの遅いこどもを育てる羽目に陥った自分の境遇を嘆いています。
こんな時、私にできることは、そう多くはありません。
『悲しんで良いんだよ』と、ただ、話を聞いているだけのこともあります。

4. お母さんがことばを教えるとき

お母さんとこどもの間には、ことばがなくても通じ合うしぐさや、眼差し、声のラインが繋がっています。どのこどもも、お母さんにやって欲しいことは、精いっぱい自分流に伝えています。もちろん十分に伝わらない時には、こどももじれて怒ったり、泣いたりすることもあります。
ふだん自然にやっていることを、とりたてて教えようとすると、ぎこちなくなります。お母さんがことばを教えようとする時、やりすぎになってしまうのが普通です。問いつめてことばを言うまで、欲しい物を渡さないような教え方を、してしまいがちです。こどもに無理にことばを言わせないように、お母さんにお願いします。
「楽しいやり方を考えて下さいね。それが一番の近道です」
お手伝いをさせたり、一緒にお風呂に入ったり、買い物に出かけたりする時に、繰り返しことばをかけているうちに、こどもの中にことばが溜っていきます。
もう一つは、カードで教えないように、お母さんにはお願いします。絵カードでことばを教える誘惑に駆られるお母さんは少なくありません。こどもの最初のことばは、自分が味わったり、見たり、嗅いだりした物、ドキドキしながら走って通ったり、面白さに大笑いした経験を伝えるものです。ことばを覚える瞬間に、こどもの眼の前にあるのが二次元のカードだったら、カードはこどもに間違った現実を教えてしまうでしょう。
ことばの相談室では、私たちは短い限られた時間内に、たくさんの経験を用意することができないため、絵カードを使うこともあります。絵カードでことばを教えながら、お母さんとこどもには、絶えず、現実とのフィードバックをするようにお願いしています。
今日、めだかの赤ちゃんを見つけました。めだかの水瓶の隣に置いた睡蓮の瓶に、キラリ、光の矢が二本飛び交っていました。水瓶から移したほていあおいの根に生みつけられた卵が、この暑さで孵ったに違いありません。
そのことばを知っているだけで五十数年生きてきて、初めて見た「めだかの赤ちゃん」です。おとなのことばもまた、日々、更新されていく生き物なんですね。