里山研究庵Nomadのスタッフが1992年から1年間ツェルゲル村に住み込み、村長を努めたツェンゲルさん一家の暮らしを撮影した記録映画です。

【前 編】(1時間40分)

~秋・冬・早春~
https://youtu.be/8ckpvZv3blc

【後 編】(1時間40分)
~春・夏・晩秋~
https://youtu.be/8WR0TCZd7O0

監督・撮影:小貫雅男
編集:伊藤恵子
企画・制作:里山研究庵Nomad

モンゴルというと、大草原に馬を走らせながら、羊や山羊を飼う遊牧民の姿を思い浮かべます。20世紀初頭には、モンゴル全人口の98%が遊牧民でした。彼らは羊、山羊、馬、牛、ラクダと共に大草原の草を求めて移動し、生活していました。

1924年、モンゴルがソビエトの影響下、モンゴル人民共和国になった時、社会主義的な集団化が行われ、遊牧民はネグデル(牧畜業協同組合)に属する公務員になりました。一つのネグデルは500戸の組合員と6万頭の共有家畜と、1万5千頭の私有家畜を持って、組合員は家畜別、作業別の作業隊に編入されていました。

1992年、モンゴルは社会主義体制から資本主義体制に移行しました。この時期に撮影された遊牧民の暮らしです。本編は7時間以上にわたる長尺ですが、この短縮版は3時間半に編集されています。

私はモンゴルに行く度に、遊牧民のゲルを訪問して、彼らの暮らしを見聞きしてきました。留学生向けの大学の授業で習い、遊牧民出身の教官から毎日、水汲みに行くのが子どもの仕事だった話を聞くことができました。JICA事業で付き合ってきたウランバートル市のゲル地区に住む人々は、元遊牧民です。この映画を見て、ようやくパズルの断片が合わさって一つになりました。

モンゴルの南部ウブルハンガイ県ボグド郡ツェルゲル村の村長ツェンゲルさんは、若い頃、畜産技師をしていましたが、25歳の時に村長としてこの村に派遣されました。ネグデルは遊牧民の自主的意志に基づく社会主義的共同体とされていますが、現実には中央集権体制の中で遊牧民を収奪する装置になってしまっていました。1989年、ベルリンの壁の崩壊を皮切りに東ヨーロッパの国々が社会主義体制から市場経済に移行していく中で、1991年1月2日ツェルゲル村ではツェンゲルさんの指導のもと、住民総会が行われて、ネグデルから離脱し、新しく自由な住民の意志に基づくホルショー結成が決議されました。

<ホタ・アイルとサーハルト>

ツェルゲル村は標高3590Mの東ボクド山の山中にあります。60所帯の遊牧民が、夏は頂上に近い涼しい夏営地で、冬になると麓に近い冬営地に降りて、山羊と羊を飼っています。

放牧して家畜に餌を食べさせ、女たちは乳搾りをして乳製品を作る、水を汲み、薪を採ってきて食事を作る遊牧民の暮らしは一家族で営むことはできません。一つの柵に囲まれたいくつかのゲルに住む家族の協力が必要です。ツェンゲルさんは弟のフレルさん家族と共に、最小の労働単位、ホタ・アイルを構成しています。ウランバートルのゲル地区でも、一つの柵の中に複数のゲルを建てて住んでいるのを見かけます。お母さんが働きに出ていても隣のゲルの叔母さんが子どもの面倒を見てくれます。

越冬前に牛とラクダを屠って、冬越しの食糧を作る場面があります。2家族だけでは手が足りません。周りのホット・アイルに住む家族が手伝いにやって来て、手際良く屠殺、皮を剥ぐ、内臓を取り出して水で洗う、体の部分を解体して、夜は-30°Cになる外気に晒して冷凍する作業を進めます。子どもたちは、周りで遊びながら、小さい時からそれを見て育ちます。互いに離れて住んでいるが、必要な時に協力し合うグループをサーハルトと言います。「ホタ・アイルの心は一つ、サーハルトの心は一つ」という言葉があるそうです。厳しい山岳地帯で生き抜くには共同の心と作業が不可欠です。

<遊牧民の子ども>

ツェンゲルさんの家には4人の子がいます。一番上の姉スレンは郡の中心にある親戚の家に泊まって、小学校に通っていますが、妹のハンドは7歳で、弟二人と一緒に両親のゲルに住んでいます。

モンゴルの正月は旧暦なので、年によって変わります。ツァガーサル(白い月)の準備に家族総出で、餃子、ヘビンボーブ(揚げ菓子)、オーツ(羊の丸茹で)を作ります。姉妹が餃子作りの手伝いをせっせとしています。手慣れたものです。私が友人の家で、急に手伝ってもひだを上手に寄せられなかったのですが。その傍で、弟も1個だけ頑張って作りましたが、その後はラクダの乳で作った甘酸っぱいインゲニー・アールツを舐めるのに余念がありません。大学で知り合った女子学生をはじめとして、誰もが小さい頃から、毎年、2000個のボウズ(ツェルゲル村では餃子ですが、形が違うだけで中身は同じです)作りを手伝ってきたと言います。できた端から板に並べて、外に出せば、自然に冷凍されます。留学した2011年にウランバートルで大家さんのお父さん宅に招かれて、全く同じツァガーサルの祝いのご馳走をいただきました。モンゴル国内、どこでもいつでも伝統が受け継がれているようです。もっとも、最近はこの風習を嫌って、ツァガーンサルの休みに海外脱出するお金持ちもいます。

春になると、山羊や羊の赤ん坊が次々に生まれます。出産数がその家の一年間の暮らしを支えてくれます。ツェルゲル村の女であれば、母家畜の乳搾りが出来てこそ。ようやく7歳のハンドは母山羊を捕まえて、後ろに足を投げ出して座り込み、股の間においたバケツにシュッシュッと手際よく絞れるようになりました。一つに結んだおさげの青いリボンが揺れて、一息ついたらお母さんのバケツに、駆けて行って注ぎます。なんとなく大人になった気持ち、皆に褒められて、得意そうなハンド。

数年前にウランバートル近郊にあるゲルを訪問した時、夕方になると子山羊だけを捕まえて、母山羊から離していました。夜の間に子山羊が母乳を吸わないように。子どもたちも混じって、素早く子山羊を捕まえる、捕まえる。持ち上げて、柵の外に出す。一晩置いて、朝、人間さまが絞った後で、子山羊に飲ませます。子どもたちも一丁前に役立っていました。

また、ゲル地区でも草原でも、水を汲むのは子どもの仕事でした。大学の女性教官は「子どもは家にいるでしょ。晩ご飯作るのは子どもの仕事」と言っていました。私も小学生の頃は薪を割って風呂を沸かす、夜は表の雨戸を立てる親を手伝っていました。薬局をしていたので、薬を間違った値段で売って大失敗したシーンは今でも、頭に焼きついています。

子どもは失敗しながら、何事も自然に覚えていくんですね。

遊牧民の暮らしは『四季・遊牧ーツェルゲルの人々ー』を、ご覧ください。モンゴル社会が変化していく節目の時代の姿を知ることができます。