1.「げんごろう」の始まり

もうじき夏がきます。リュックを担いだティーシャツの学生達と雨傘を触れあわせてすれ違う、高田馬場界隈の雑踏から「げんごろう」は生まれました。「げんごろう」といっても、虫ではありません。こどものことばを追いかけて、毎月、続けてきたビデオ撮影を、私たちは「げんごろう」と呼んでいます。言語(野)郎─げんごろうですね。
私は五年前から専門学校の言語聴覚療法学科で小児科学を講義しています。西武新宿線の高田馬場駅で降りて、賑やかな街並みをしばらく行くと、ビルの4階にこの学科の講義室とクリニックがあります。大学の様々な学科を卒業して、そのまま入学した学生が多い中に、社会人として働いているうちに言語聴覚士を目指すようになって、入ってきた人も混じっています。教師経験者を除くと、皆、こどもと日常的につき合った経験がありません。

私は小児科の診療所を開業した時から一緒に設けた「ことばの相談室」で、ことばに障害をもつこどもとつき合ってきました。限られた講義時間内に、こども経験の乏しい学生達に、自分の臨床経験と、こどもの言語障害についての医学的知識を伝えるために、毎時間、ビデオを使っています。しかし、一年目の講義では、ちょうどよい言語発達のビデオが見つけられませんでした。
授業の終わり頃、一人の学生が直球ボールを投げてきました。
「ことばの発達のビデオ撮影をしないんですか」
「うーん、そうだね。一緒にやってみようか」
私がボールを打ち返して「げんごろう」に取り組むことになりました。タイミングよく、私の知人の家に、その秋生まれてくる予定の赤ちゃんが二人いましたので、それぞれの家庭にお願いして、撮影することを許して頂きました。その後、二人の女の子、なあちゃんとしいちゃんが新生児の時期から、四年間余り、毎月、ビデオを担いで自宅を訪問して来ました。毎年、一年生が言語発達の講義を受けた後にバトンタッチして、この活動に参加しています。

2. 新生児期の赤ちゃん

授業で新生児期のしいちゃんのビデオを観察して、学生に発表してもらいます。仰向けに寝ているしいちゃんは、太鼓の音がしてもそっちの方を向きません。手足をもぞもぞ動かし、まぶたがぴくりと動くこともあります。目の前で緑色のボールを動かしても、首はジッと同じ方向を向いたままで、もちろん眼も動かしません。
学生の観察は「音に対する反応なし」「追視なし」となりがちです。しかし、次の場面で、お母さんがしいちゃんを抱いて揺すりながら話しかけると、まだ焦点が定まらない眼でお母さんの顔の方を向いて、耳をすませ、クークー声さえ出します。お母さんという装置にかかると、しいちゃんの感覚もコミュニケーションしたい気持ちも、大きく膨らむかのようです。
言語障害のこどもと付合っていく時、かそけきものへ向ける気持ちと、それを感じとる観察力が必要です。私の力不足で、まだまだ授業で伝え切れているとは言えません。

3. ことばと眼

ことばが届けられるのは耳からですが、赤ちゃんは眼の力を最大限に使って、ことばをつかみ取ろうとしています。
赤ちゃんはしっかりお座りができるようになるまでは、だいたい仰向けに寝ています。この姿勢が、自由に手を前に伸ばしておもちゃを掴み、眼で確かめ、口にいれてしゃぶって、外の世界を確かめるチャンスを赤ちゃんに与えてくれます。
それに仰向けの姿勢は、大人と眼差しを合わせて、コミュニケーションをする時間を与えてくれます。
生後4ヶ月。揺りかごに寝ているしいちゃんに、学生はどうやって話しかけていいかわからず、おっかなびっくり、その顔をのぞきこみました。視線が合うと、しいちゃんの方から笑いかけてきました。嬉しくなった学生は、とっさにしいちゃんの手足をバタバタさせる動きに「イチ、ニ、イチ、ニ」と言いながら、自分の手を振るリズムを合わせました。
「イチ、ニ、イチ、ニ」
二人は、お互いに見つめあいながら、その体操を続けました。周りで見ていた私達も、つい、ひきこまれてかけ声をかけました。

7ヶ月を過ぎたなあちゃんは、じょうずにお坐りしています。なあちゃんに学生が黄色い帽子を差し出します。なあちゃんは帽子と、それを手にしている学生の眼を代わるがわる見ました。
「これは何?」
「どうやって使うの?」
何度も、何度も、眼できいています。頭に被せてあげると、すぐに両手でとって、口に持っていきました。なあちゃんは眼ばかりではなく、口で帽子の味や感触を味わっています。帽子の味ってどんなかな。
おもちゃの赤い電話についている白い受話器でも、太鼓のバチでも、同じように口に持っていきます。そんな間は、一つ一つの物の違いがはっきりとは分かっていないようです。
2カ月経ったら、なあちゃんは手渡された帽子を両手で頭の上に高く持ちあげ、すっぽりと頭に被りました。思わず、まきおこる皆の拍手。なあちゃんには帽子は、頭に被るものだってことがわかったんですね。もう、以前ほど、学生の眼を見ることはありません。黄色い帽子そのものと「ぼうし」という声になったことばとの間の距離が、ぐっと近づいてきました。
ことばを話すのが遅い自閉症のこどもは、相手と視線を合わせることが苦手です。眼を覗き込んでも、こちらの眼を見ないで遠くを見ます。どうして見ないのかは未だに謎のままですが、こっちを向かせてことばに気づかせようと、言語聴覚士は様々な努力をしています。「げんごろう」で二人の様子を細かに知るにつれて、ことばの遅いこどもたちがどこでつまずいているのか、私達は深く捉えかえすようになりました。

4.「お受験のような」

毎月、二人の家庭を訪問して撮影を続けているうちに、三年が過ぎました。
「次の学生さんと交代する前に、一度、ゆっくり話がしたいんだけど」
なあちゃんのお母さんに言われました。初秋のある日、撮影が終わって、昼ご飯を御馳走になりました。学生達と私、なあちゃんとお姉ちゃんとお母さんが、畳の上のお膳を囲んで坐りました。大皿にたっぷりと盛り付けた中華風野菜料理が並んでいます。この時、なあちゃんはなすが大好きだと、初めて知りました。
「なあちゃんができないことをさせられて、嫌がって泣いていると『できなくってもいいんだよ』と思うんだけど、見ているのが辛いんですよ」
なあちゃんはお母さんの膝から、ちょっとでも離れるとすぐに泣いてしまって、最初の一年間は、テープの半分以上が泣き顔ということが、何度もありました。
「お受験のような撮影は、何の為にしているのかな、と疑問に思ってしまう」
なあちゃんの発達を追いかけることに熱心なあまり、もっと後になったら、簡単にできるとわかっていることを、私達はその何ヶ月も前から試し続けて来ました。お母さんとなあちゃんにとって苦痛なことが、実は、私達には発見をもたらしてくれました。ごめんね、なあちゃん。

色の名前もその一つです。自分のまわりにある物に名前があることに気づいたこどもは次々に、名称を覚えていきます。けれども、色の名のように抽象的なことばは、一段と難しいものです。
1才8ヶ月のなあちゃんに、それぞれ十個づつある赤と黄色の輪を、二本の棒に分けて集めてもらいました。なあちゃんは拙い手付きで、手近な棒に赤でも黄色でもお構いなしに挿していきます。するりと滑り込ませる感覚が楽しいようすです。
なあちゃんが間違うと学生は「ノー」とやり直しを求めます。なあちゃんは、一生懸命、学生の眼を見ますが、輪を手渡されても、毎回、自分では、どうしたらいいのか判らず、今にも泣き出しそうです。
その後間もなく、なあちゃんは赤と黄色の輪を分類することができるようになりました。でも、色の名前は覚えられません。こんなことが何回か続いた後、なあちゃんはてがかりを発見しました。赤はお姉ちゃん色、黄色はなあちゃん色、青はお母さん色、緑はお父さん色と、名付けたのです。それが色の名に変わっていくまで、ビデオカメラが追跡しました。誰が教えたのでもなく、なあちゃんは自分流の色の見分け方をあみ出したのです。

「どうなんでしょう」
お母さんの意志のこもった眼に押されて、私達も考え直す時期が来たのかなと思いました。言語臨床でも、同じことが起ります。「教えたい」「わからせたい」と、熱心に取り組んでも、こどもの方が、机から離れて別の事をしたがったり、そっぽを向いて嫌がることがあります。そんな時、課題が難しすぎないか、どうしたら「わかった!」とこどもが自分から気づいていけるのか、やり方を見直していく柔軟さを、身につけていきたいと思っています。
「げんごろう」のビデオを検討する夜の会に参加した学生達と話し合ってみました。出来ないことを出来るまで、段階を追って撮るやり方を改め、なあちゃんと、3才年上のお姉ちゃんと、学生が遊ぶ場面を撮影することにしました。
なあちゃんが成長し「げんごろう」に慣れてきたこともあるのでしょう。それからは、なあちゃんが泣いて嫌がる時間は殆どなくなり、お母さんが遊びに参加することも、回を重ねるごとに減っていきました。

5. 個性って?

一昨年から診療所のことばの相談室で仕事をしている言語聴覚士が集まって、「げんごろう」のビデオを隅々まで観察する作業を続けています。熱中してビデオを見続けていると、二人の秘密をのぞき見しているような後ろめたさに捉えられます。そして、ことばを獲得していく順序やスピードがあまりに似通っていることに、生命にしくまれたプログラムの存在を感じておそれを抱きます。二人はしいちゃんとなあちゃんではなく、2ヶ月違いで生まれて、発達の指標をクリアーしていく、モデル生命体に見えてしまうのでした。
その端的な証拠である、語彙数の変遷のグラフをお目にかけておきます。(表1参照)それぞれが話せることばをお母さんや家族に定期的に報告してもらって作成しました。1才6ヶ月頃から、二人のことばは同じカーブを描いて急に増えていっています。

6.「げんごろう」の現在とこれから

つい最近、「げんごろう」に参加してくれた1期から5期までの学生達と、しいちゃん、なあちゃんの家族とともに、交流会を開きました。一人の学生の発言で始まった、ことばを追いかけてきたビデオ撮影の試みが、世代を越えて集う場に育ってきたことを嬉しく感じた日でした。
二人が6才になって、小学校に入学する日まで、私達はビデオを担いで、二人を訪問したいと思っています。