梅村 浄

「這えば立て、立てば歩めの親心」ということばがあります。生まれた時は寝たきりの赤ちゃんが、1歳前後に歩くまでの姿は、誰もが知っています。親は赤ちゃんがゆっくりその順番を辿って行くのを待つことができます。

ことばはどうでしょう。「マンマ」「ママ」あるいは「パパ」と意味のある語を発する始語の時期が来て、急に周りはことばを意識するのではないでしょうか。質問にもあるように乳幼児健診に行くと母子手帳に書かれた1歳半では意味のある語をいくつか話すかとか、2歳では「ワンワンキタ」「マンマチョウダイ」など2語文を話すかをチェックされて慌てることが多いのです。

しかし実は、生まれた時から、ことばの芽は育ち始めています。お腹が空くと泣く、あやすと笑う、話しかけるとモゴモゴと声を返す。可愛さ感情をくすぐる天使の風情で、巧妙に赤ちゃんは大人の歓心をひいています。それに乗っかって飽きることなく見つめて、応えてあげて下さい。本能にしくまれた絆こそが、ことばを育てているんですね。赤ちゃんが静かに寝てばかりで要求が少ないと、忙しい親は時間配分を、つい家事の方にシフトしてしまいがちなので、そこを心してかかって下さい。

「親がうまく働きかけてあげれば、ことばがするっと出る」方法はありません。ことばは錠剤のようにのみ込んで、それを即、吐き出すという風には出てきません。安心してやり取り出来る関係の中で、赤ちゃんが「これがママ(パパ)なんだあ」「呼べば来てくれて、自分を守ってくれるんだ」と分かり、舌と唇を動かして発音出来る時期になって、初めて誰にもわかることばを話し出します。

私は6年間にわたって、月に1回、言語聴覚士を目指す学生たちと、2人の女の子のことばを撮影したことがあります。ことばを話さない0歳代から、始語を経て2歳前後に家族と会話を始め、6歳に至るまで、2人が同じ道筋でことばを話すようになる様を、驚きをもって見守りました。しかし、元々持っている性向の違いや、両親が何に関心をもって暮らしているかなど家庭文化の違いが、ことばの数や使い方に幅広い多様性を与えることも知りました。

現代の日本は工業化された情報化社会です。この社会で生きて行くにはことばを巧みに操ることが不可欠と考える親や親戚、教師によって、「早いことは良いことだ」とこどもはせかされてしまいます。

ことばはコミュニケーションのツールですから、家庭内で過不足なく家族とやり取り出来ていれば、早かろうが遅かろうが本人は困りません。「この子が言う前にやってあげていたから」ことばが遅れたのではなくて、ことばで言わなくても通じ合う関係がとれていたんですね。しかし、こどもが育って来ると、ことばが足りないために要求や気持ちが伝わらず、家族でも不便を感じることが出てきます。幼稚園や保育園に入園すると、先生のことばを理解して行動する場面が増えます。また友だちと会話することばが使えた方がラクですね。

母子手帳に書かれている目安は平均値にすぎません。言えることばの数を目安にするより「こっちにおいで」「ごはんだよ」「お外に行こう」「ダメ」など、いつも使うことばがわかっているかどうかに気をつけて下さい。理解出来ていれば、いずれ話し出します。指さしや手真似、表情、はっきりしないが家族にはわかることばに耳をすませて下さい。キチンとしたことばを言わせようとするより、通じ合うことが大切です。

「ことばが遅い」とインターネットで検索すると数千万の答えがヒットしてきます。一つ一つの情報を読んでいるだけでは、自分の子どもの姿を知ることができません。信頼出来る誰かに相談することが早道かもしれません。専門家もそのひとりです。

相談の時期はそれぞれです。生まれてすぐ新生児聴力検査で難聴と言われて、医療や療育と否応無しに関わり始めることもあります。入園後、幼稚園の先生に他のこどもとの違いを指摘される場合もあるでしょう。私はなんでも早期発見して教えこめば問題解決という考え方には、違和感を覚えます。こどもが体内に持っている時計を無理に速めようとすることは、歪みをもたらします。ありのままを受けとめて、普通にゆったり過ごす時間が長いほど、こどもは安心して育つのではないかと思うからです。

(2012年12月25日発行『ちいさい・おおきい・おそい・はやい』91号より転載)